店主日誌
2008年1月

1/11(金)

 皆様、新年おめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。 

 2008年の仕事始めは7日から始まった。昨年末に蓄積した疲労も冬休みのおかげでかなり回復。大晦日はロサンジェルから来たマイクペニーがうちに泊まり、一緒に飲んで食べて冗談ばかり言って元旦の朝を迎えた。正月3が日はもちろん朝からおとそ酒、仕事のことを一切考えないで朝から酒が飲めるのは正月だけ、お正月は最高ダあ。酔いが醒めたらDVD、台湾の映画、「深海」「迷子」そして侯孝賢監督の「ミレニアム・マンボ」「非情城市」「恋々風塵」をぶっ続けで見た。

 そして4日から台湾に初めての旅行、連れは懐かし“神秘のベール”様。成田発11時40分発、台北には14時40分着。初めて見る台北の町並み、予想していたよりもはるかに多い雑居ビル群に圧倒される。

 私のパソコンの打ち込みは遅々として進まない。休みの間の旅行のことなど少しずつ書いていこう。

1/14(月)

 台湾では、3人の素敵な人に出会うことが出来た。それは1年位前に初来日し、三味線かとうに初来店したことがある劉さんの2日の日に書かれたHPの掲示板への書きこみから始まった。ちょうど翌々日に台湾に初めて旅行をする予定だったので会いたいですと私が返事をした。掲示板ではその確認が出来ないままに4日に日本を出発した。台湾に着いたその晩、19時半までホテルで劉さんを待ったが会えなかったので、私たちは『士林の夜市』に出かけた。その際、ホテルのフロントにもし劉さんという人が尋ねてきたら、携帯に電話をするようにお願いしてお土産も渡してくれるように頼んだ。その時のフロントの女性が士林までの行き方を、電車だと遠回りだからホテルの前から出ている何番バスと何番バスのどちらかに乗ればよいとか、バスはお釣りは出ないからぴったり小銭で払うようになど丁寧に教えてくれた。バスは30分で目的地に着いた。台北で一番大きいといわれる士林の夜市の入口に入ろうとした時、劉さんから携帯に電話が入った。劉さんは片言の日本語しかわからず、この後どうしていいかわからないでいたら、急に流暢な日本語が電話口から聞こえてきた。劉さんの友達だと言い、二人はこれから士林に来たいと言う。そしてやっと電車の士林駅で私たちは劉さんとその友人に会うことが出来た。

 劉さんの友達はヒロ君と言い、お父さんが日本人でお母さんが台湾人の19歳の大学生で、かつてアルバイト先の劉さんの後輩だった。彼がいたお陰で一緒に夜市の屋台もぶらぶら歩きながら冗談を言い、つまみ食いをしたり、劉さんともあれこれ詳しく話をすることが出来た。劉さんとヒロ君はとても優しい青年で10歳くらい年齢差があるのに彼等の信頼関係はとても篤かった。劉さんが台湾語でヒロ君の目を見ながら僕に話しかけると、その言葉が終わるか終わらないうちに日本語で翻訳された。同じように僕が一言返すと同じように終わるが早いか、もう台湾語で劉さんに話している。その話し方はとてもやわらかく、ちょっと山咲トオル似でとても愛おしく感じてしまうほど。

 中心街の無国籍居酒屋の、ビートルズの大きな写真の前で我々はまっこと楽しくビールを飲んだ。劉さんが私たちの泊まるホテルに三味線を預けていたので、私は劉さんの三味線が聞きたいと言った。そしてタクシーでホテルにもどり、部屋で劉さんが三味線を弾き始めたのが午前1時過ぎ、もちろん深夜なので叩かないで軽くなでるようにねと劉さんに言って・・・、劉さんはもともとアマチュアのギタリストだが、独学で覚えたという津軽じょんから節とオリジナル曲を聞かせてくれた。それでもお隣に迷惑になるからこれでお終いにしようと言って三味線を終えたが、その後5分くらいしてドアが小さくノックされた。ホテルの従業員だった。ヒロ君が出てあの柔らかい口調で一言二言お詫びを言うと何事もなく引き上げた。吹き抜けに面した窓がカーテン越しに少し開いていたことに気がつかなかった。多分ホテルの中庭から三味線の音が洩れて聞こえていたのだろう。そのあともしばらくは今日会えたことの感激をお互いに伝え合い、彼らと名残惜しく別れたのは2時半頃だった。

 そして寝たのは4時近かったが、私達は、翌朝早起きして侯孝賢監督の映画「非情城市」で有名な町、『九份』に出かけた。昨夜、親切で日本語のとてもよくわかるフロントの女性から『九份』への道のりを丁寧に教えてもらっていたのでスムーズに行くことが出来た。当初ガイドブックで電車を3回乗り継いだあとに・・・タクシーかななんて思っていたが彼女のお陰でバス1回の乗り継ぎで済んだ。おまけに「非情城市」の長男が煙草屋を営んでいた港町『基隆』が中継地点だったので、そこに下りて海の空気も吸うことが出来た。古い石の階段の多い『九份』の街並みをゆっくり歩いた。映画のロケで使われた茶屋、階段、曇っていたが遠く下に見える海の入り江も水彩画のように美しく見えた。宮崎駿の『千と千尋の神隠し』のヒントにもなったというこの町の風景は、日本にはないがなぜか懐かしさを呼び起こす。帰りは途中電車を乗り継いで、世界一の高さを誇るタワー『台北101』の展望台に上った。そこから360度見下ろす台北の風景は固唾を飲むほど凄かった。あまりの絶景に唖然として何回もため息をついた。

 でも、たった二晩の滞在だったが、旅というものがどんな美しい風景やどんなおいしい食べ物よりも、どんな人に出会えたかということが遥かに勝るということを深く思い知らされる旅行だった。劉さん、ヒロ君、そしてホテルの女性、翁淑貞さんありがとう。また会えることを楽しみにしているよ。

1/15(火)

 8日は新宿ロフトに『ヒビキメロヲ』の新年初ライブを見に行く。活きのいいマニの三味線とボーカルが2008年ニッポンをつんざき、間もなく始まるツアーを前にメンバーも全開アクション。

 9日はケビン・メッツとマイクペニーが来店している時、サンフランシスコから一時帰郷してお稽古三味線を買いに来た女性と遭遇、そこへケビンもよく知っていると言うアメリカ人から電話あり、ケビンに変わると店内に英語が飛び交った。明日そのアメリカ人は来店すると言う。

 10日朝、アメリカに帰国のケビンを上野駅まで送って店に帰ると間もなく昨日のケビンの知り合いのC氏がカリフォルニアから来店、日本語がまるきりだめと聞いていたので朝から張り切っていたが、同行の女性がハーフのアメリカ人でなんと美しい日本語。英語で会話できなくて残念だあ。

 お二人が帰った後、夕方に今度はなんと、ロサンジェルス在住のお客様のD・Y子さんふいに来店。彼女はケビンもマイクもよく知っている女性だ。あいにく私はレッスンがあったので明日一緒に飲む約束をしてあたふたと出かけた。

 11日、夕方マイクとY子さんと上野で会い早くから居酒屋で飲み始めた。三味線の話、マイクの三味線の勉強の話、ケビン・メッツ、新田昌弘氏の話、サンフランシスコ、ロサンジェルスの話、そしてくっだらない話。すっかりご機嫌になったので早く別れればよかったのだが、店を出たら真ん前に『カラオケ』の看板が目に入ってしまったのがいけなかった。そこで22時から4時間、神秘のベール様も含めた4人がアニメソングに始まり、英語の歌、懐メロなど歌のオンパレード、マイクも私もみんなみんな声が枯れるほどに・・・。まるきり嘘みたいな話だが、年の初めは外国人との出会いが続き、ケビンも言うとおりまさしく、
I LOVE MEETING! I LOVE CRAZY! 結局、Y子さんとマイクはご機嫌なまま我が家に来襲、それからまた乾杯して果てしなく・・・・・。

 そうそう、暮れにケビンがマイクと一緒に泊まった時も、ひたすら飲んで冗談を言い合った後は全くクレージーな結末だった。朝、ケビンは「カトウサン、ダイジョウブデスカ」と心配していた。何のことかわからなかったが、前夜、私が気持ちよく泥酔して「出会いこそすべてさ」みたいなことを繰り返し叫んでつぶれてしまったそうだ。ケビンたちが帰った後、彼が書いたメモ用紙を見た。彼もヨッパラッタヨと言っていたが、そのメモには上手に書かれたイラストとコメントが添えてあった。これがなかなか面白い。後日『スタッフ通信』にでも公開しちゃお。

1/19(土)

  2、3日アルコールを控えた。お正月の深酒はさすがに丈夫な私の胃を直撃・・・・、ひたすら静かに、おとなしくしていた。3日ぶりに飲んだビールの一口の、嗚呼、なんと甘美なこと。

1/22(火)

 お正月を過ぎて、この1週間ほどの寒さは例年にないほどの冷気。三味線のお客様もまだちらほらと、たまに張替や修理品がある程度。この時期は1年間使用した仕事の道具の手入れや小物の在庫品の整理など、忙しいときには出来なかったことなどを整備するときだ。体の手入れも怠りなく、硬い筋肉もゆっくりほぐそう、硬化気味の頭の中身も一度ぐにゃぐにゃにして・・・・。はて、元に戻らなくなったらどうするか?

1/24(木)

  昨日は早朝から雪が降り、積もるほどではなかったが夕方まで降り続いた。昼頃サンフランシスコのお客様から電話が入り、こないだ差し上げた本條秀太郎のCD『雪』がとても気に入って、くり返しくり返し聞いているそうだ。これを聴くと動けなくなってしまうと言う。

  ちょうど今、東京は雪が降っていますよと言うと「まぁ!」とため息をついて、そのまま動けなくなってしまったようだ。