店主日誌 2005年8月 |
8/29 (月) |
夏も終わる頃になった。私の親しい友人Sは1945年8月16日生まれ。1日遅れで戦後の生まれ。数年前、彼に「60歳まであと何回夏があるの?」と冷やかしたことがある。彼は無駄な筋肉がなく身体こそ細いが、強靭な足腰は少しも衰えることなく、余裕のユーモアも健在だ。その夏の終わり。 |
8/26 (金) |
昨夜、台風11号が関東地方に上陸。久しぶりの直撃なので深夜何回も起きて外を見たり、テレビをつけたりして様子を伺った。その割にはこの付近は風も雨量もそれほど多くはなく早朝には太平洋に抜けたのでほっとした。
7月30日にちとしゃん亭があり、その1週間後の8月6日に『木乃下真市ワークショップ』が行われた。全国各地から集まった木乃下ファン、並びに津軽三味線愛好家たちの熱心な聴講ぶりに木乃下真市さんの指導は熱が入り、緊張した ワークショップが展開された。私共も当日の音響や諸々の雑用をお手伝いさせていただいた。この模様の詳細は『BACHI×2』9月号に紹介されるそう。 三味線かとうは10日から16日まで待望の夏休みを頂く。ほとんど家でゴロゴロしてこの上なく贅沢な時間を過ごした。天気に恵まれなかったせいもあるが、もう一つ、ちとしゃん亭のリハーサルの時、ワタクシは不覚にも右足を捻挫して しまったのだ。なかなか腫れが引かずどこへも出られなかったのが現状だった。でももう大丈夫、張替もいつもどおり・・・とはいかないがボチボチやっている。 そして、8月19日はお台場冒険王企画 『木乃下真市トランスセッション』が お台場のメディアージュ6F、スタジオドリームメーカーで行われた。この日は昼が木乃下さんの津軽甚句を課題曲にしたワークショップのようなことがあり、夜がライブだった。その間の16時半から18時までライブ開場の入口のスペースで三味線かとうが総出で『三味線と遊ぼう!』という、ちとしゃん亭のようなことを行った。これについてはご覧になった方のみぞ知る、楽しくもお恥ずかしくもあり 涙なくして語れぬスペシャル大娯楽イベントなのであった。お集まりのお客様と勇気ある飛入りの皆様に深く感謝を申し上げます。 この2,3ヶ月の間に幾つかテレビ取材があり、ON・AIRも行われた。CS番組『歳時記・生きる』というのはワタクシの今までの仕事の足跡を辿るようなもので何と一人で45分もカタり続けている。BS‐iでは『超・人 −Virtuso− 上妻宏光 越境する響き』、上妻宏光氏を追った1時間ドキュメンタリーでここでも来店した上妻氏の横でワタクシが出演しちゃっているのだ。この取材日が6月の謝恩セール4日目の朝だった。どちらもデジタル放送なのですぐに見ることは出来なかったが、送られてきたVTRを見た。バックの紅白幕やSALEと大書した張り紙にヒヤヒヤ。店の者はまだほとんどこの二つの番組を見ていない。 こんなのもあった。副題が、〜欲しいモノがきっと見つかる!207軒 こだわりの趣味&嗜好品からヘビーマニアグッズまで〜、講談社刊、総ページカラー 『超専門店』の発行だ。夢絃21、サイレント、すべらない糸巻などが掲載されている。ただ今発売中。 |
8/9 (火) |
8月6日は『木乃下真市ワークショップ』だった。邦楽ジャーナルの津軽三味線と太鼓の情報誌『バチ2』創刊1周年記念企画として催されたものだが、木乃下フアンならずとも津軽三味線を弾く人たちにとって、濃密な時間を享受したことだろう。木乃下さんの教え方は適切で、あくまでも懇切丁寧なものだった。終演後のパーティでも飲み物も食事もろくに取らずにサイン攻めに喜んで応え、フアンの人たちに対するサービスに徹する様子は人柄がにじみ出る。
続いて8月19日はフジテレビ主催、お台場冒険王企画『木乃下真市トランスセッション』が控えている。13時から木乃下真市と一般の人が一緒にジャムセッションを試みる企画有り、夜には和太鼓の茂戸藤浩司とDJ・HIDEとの本格的なトランスセッションがある。 そしてこの2つの企画の間に私共三味線かとうが店を臨時休業にして総出でお贈りする『三味線と遊ぼう!』が16時半より18時まである。飛入り参加もOKのちとしゃん亭のようなことをやろうと思っているので沢山の人たちに遊びに来て欲しいと願っている。 それはそれとして明日から1週間、待ちに待った夏休み。スタッフ全員、相当ハードな前半の日程をこなしてきた。後半最初のイベントに備えゆっくり休みましょう。 |