All the Buzz in Japan
(日本でのざわめき(三味線の響く音、人気のカムバックの様子)のすべて?)

三味線の再来

 加藤金治氏が三味線を組み立てる工房へ訪問した際、加藤氏はバンジョーのような小ぶりの木枠に皮を張り終えたところだった。”仕上がったら、これはウィーンへ行くんですよ”と彼は言った。

 私は少し驚いた。彼の一言目が三味線をウィーンへ送ることについてだとは予想していなかったからだ。しかし、現在ののマルチ・カルチャー(多様文化)の世界では、全く驚くべきことではなかったのだろう。ただ、”三味線”と”ウィーン”という言葉を同じ文中に聞く事が興味深かったから。三味線はとても伝統的な絃楽器であり、ウィーンはヨーロッパのクラシック音楽、日本の伝統音楽とは全く違う、その都であるし。いかにも、世界は小さくなってきている。

 私が日本に住んでいたとき、アメリカで絃楽器職人になる以前だが、三味線の店を訪ねることは考えたことがなかった。私の生活は、伝統的な日本の音楽とはほとんど縁がなかったからだ。私が子供の頃、私の家族にも友達にも伝統的な音楽には深くかかわっている者はいなかったから、私の音楽への興味が違った方向へ行ったとしても不思議ではない。第二次世界大戦後の日本の文化と教育様式のさなか、日本の伝統音楽は教育課程には全く取り入れておられず、重要だとも考えられてなかった、その中で私は育った。

 代わりに、西洋のクラシック音楽の指導を受けた。学校の外では、ポップスやロック音楽をラジオやテレビで聴いていた。私はその典型で、そのような音楽を楽しみ、エレキギターを手にとり、ロックを弾くのを学んだ。その後、私の音楽への興味はジャズへと移行したが、私の好みは西洋式のままだった。

 加藤氏もまた、その頃、三味線を弾くことが流行りではなくなった頃、今風でない(カッコよくない)と考えられた頃、を覚えているそうだが、最近の日本では変わり始めているようだ。進歩はゆっくりだけれど、日本の伝統音楽が学校で教えられるようになっているし、伝統への評価が戻ってきている。加藤氏は、三味線をやってみたいと彼の店に来るギター奏者が何人もいると言う。

 一度その外へ立ち止まることなしに、自国の文化の美に気づくことができないのは、私にとって自然なことのように思える。(自国の文化の美を)理解するには、何か正反対のことを経験することが必要だ。私は、日本から遠く離れて、ギター製作者(職人)として生計を立てているが、私自身の文化の背景についてもっと知りたいと思うようになった。そこで、私は伝統的な日本の楽器店を訪ねてみようと決めたのだ。私は、サンフランシスコの辺りでよく知られている三味線の教師から、東京の三味線(造り)の達人(名人、師匠)の名前を聞き、そして、加藤氏の店、”三味線かとう”を訪ねる機会をとうとう得たのだ。

 当初、加藤氏を訪ねることに少し怖さを感じた。というのも、伝統的な仕事に係わる人達は客や訪問者に時折厳しいと、少なくとも一般には、そう思われている。しかし、三味線かとうの人々はとても親しみやすく、彼らは私に多くの興味深い品物を見せてくれたし、魅力のある話を聞かせてくれた。

 三味線は、バンジョーにより近い様式で、ギターとは違う風に作られる。三味線の歴史を追うのなら、三味線は16世紀に中国から沖縄を通って伝えられた。三味線に絃(伝統的には絹だが、現在では合成糸も見つけられるだろう)は3本あり、細長い棹(首の部分)と、どちらかというと小ぶりで四角い胴からなっている。材料にはいくつかのバリエーションはあるが、棹には一般的に紅木が使われ、高級な三味線の胴には花梨(紫檀)が用いられる。天神(頭)には3本の(ねじ込める)糸巻きがあり、フレットレスな棹、猫か犬の皮が胴の表と裏に使われ、音を出す表面には駒(ブリッジ)がある。

 三味線は構造上はバンジョーに似てはいるが、音は大変個性的だ。音楽や演奏様式には多くの種類があるが、ほとんどの場合、撥と呼ばれる大きなピックを使って演奏される。そうでないと思う人達もいるだろうが、私の意見としては、三味線の特徴的な音は、大きな撥を皮に力強くぶつけることから、”さわり”として知られる持続的な共鳴音が出る、打楽器的な要素だろう。

 ’”さわり”とは一の糸の下にある(ネジのような)つまみのまわりで共鳴するびびり(濁るような)の音で、インドのシターが出すブーンというような響き音に似ている。これらの独特の音調は音の広がりに濃厚さを加える。元々、新しい三味線では”さわり”は生み出せない。新しい三味線は、初め、勘所(指で押さえる所)を磨耗させるほど長く弾くことが必要で、それが自然と奏者の指や爪によって溝や凹みをもたらす。そこで初めて、三味線は特徴的なびびり音を出せるのであろう。

  三味線は始めから終わりまで一人の職人(製作者)によって造られるのではない。工程は、大まかに言って3人の職人達に分けられている;棹作りの職人、胴作りの職人、そして、皮を張り全体の楽器を組み立てる職人に。胴の皮張りの達人(名人、師匠)である加藤氏は、棹や胴は、客の音楽の嗜好に応じて、他の専門の絃楽器職人に頼んでいる。加藤氏はそれから、皮を選び、のり付けをし、三味線を組み立てて完成させるのだ。

 私が彼の仕事場を訪ねたとき、加藤氏はちょうど受け取ったばかりの棹を見せてくれた。棹は3本の木製の部分から成り立っているが、棹の職人は横木やのりは使わない。それより、棹職人は、1本に仕上げるのに、複雑な木のつなぎを用いるのだ。私は棹職人の木工技術に感嘆した。一旦組み立てられると、つなぎ目は全く感じられないし、見えもしない。

 加藤氏は、中学校(9年生まで)を卒業するとすぐに、三味線造りの職場で働き始めた。棹作りの達人(名人、師匠)である、彼の父親は、皮張りを学ぶよう助言した(当時三味線音楽の人気は下がりつつあり、加藤氏の父親は、皮張りの技術は三味線の修理業でまだ役立つ事ができると考えたからだ)。加藤氏は父親の勧めに従い、長い修行時代と懸命な働きにより、1989年、東京の町屋に彼の店を開けたのである。

 店の隅にある、加藤氏の仕事場は、昔ながらの様式になっている。仕事台などはないが、代わりに、すべて必要な道具に囲まれて畳に座る。加藤氏が言うには、他の絃楽器と同じように、三味線の表皮は、音を生み出すために、一番重要な部分だそうだ。よく見極め、皮を選び、最終的に皮を張り付ける過程は大変重要だ。皮には一枚一枚個性がある;皮の違う部分には固有の特性があり、皮をなめす過程もその特徴に影響を与えるのに用いられる。加藤氏は客の要求をまとめるのに時間をかけ、客達の演奏スタイルや音の好みに応じて皮を選ぶ。それから、皮のどの部分を使い、どのように皮を置き、皮を引っ張るのにどれだけの圧力をかけるかを決定する;それが、皮にどれほどの張力がかかるかを決めるので。

 加藤氏は、皮張りの過程を私にやって見せてくれた。彼は無駄な時間や動きなしに、驚くほどに早く仕事をした。おそらく、のり(もち米粉から)を作り終え、細縄の締め具をかけ終えるのに、一時間弱だったろう。その短時間に、彼は多くの細部について考え入れなくてはならなかった;皮をどれだけ湿らせるか、どこに締め具を取り付け、どれだけの圧力をかけるかなどを。これらの考慮すべきことは、気温や湿度にもよるので、彼はそれらの要素も勘定に入れなくてはならない。加藤氏はまだ昔から定評のある”細縄とクサビ”の締めの技、それは両手と時には両足も使う必要がある、江戸時代(1600−1887)からの技術、を用いている。その工程は見るのにも美しい。締め具を取り外すと、彼は皮を少し乾かし、それから、次の段階へと進む準備が整う。

絃楽器職人として、加藤氏は、伝統的な事業におけるかなりの革新家である。彼は三味線造りの伝統に深い敬意を払う一方、確立された方法から離れることにも価値を見ている。加藤氏は、何百年も前の演奏家ではなく、現代の三味線奏者について常に考えている。今日(こんにち)、演奏家達はより多くの観客の前、大きな会場で演奏する;時には西洋のアンサンブルで西洋の楽器と一緒に。それだから、現代の演奏者にとっては、三味線の音量が問題になっている。現代の演奏者でも、伝統的なアンサンブルでは、過去400年にわたって演奏されたように、音を増幅することなしに演奏することは問題ない、と加藤氏は言うが、ひとたびドラムやキーボードを加えるとそうはいかなくなる。

 結果、加藤氏にとって、アコースティックでエレクトリックな三味線をデザインすることは自然であった。それらなくして、三味線奏者達は西洋の楽器との競演を楽しむことはできないだろう。

 奏者の中には、自身の手で問題を解決しようと、ピックアップ(絃の響きを磁石の働きで電気信号として拾う)を自分達でで取り付けたが、プロのレベルで、加藤氏は、増幅器(アンプ)に付けられる三味線をデザインし、造る方法を開発した三味線(造りの)名人の第一人者である。

 ”そのような革新を伝統的な世界に紹介するのは大変だったのでは”、と私は加藤氏に一言述べてみた。

 ”いや、全く”と彼は簡単に答えた。”もし、演奏者が少し変えてくれと頼んできたら、彼の要望に応えるため、出来る事はすべてやります。演奏者達を喜ばせる事は私にとって重要なんです”と。だが、彼の試みをもってしても、彼が適切な修正と感じる事にはリミットがあると認める。加藤氏はこれまで通り、三味線の音を”尊重し、保存”したいのだ。

 ”いつも心に持ち続けている一番大切な事は”、加藤氏は言う、”三味線音が増幅されるか否かにかかわらず、その濃厚な歴史と伝統に忠実な音が出る三味線造りに多大な注意を払うことなんです。例えば、びびり音の”さわり”の音は現代の人気音楽とは対立するかもしれないが、それは根本的な特徴のある三味線の音なんです。そのような莫大なオーバートーン(共振によって、弾いた音の他にいくつもの音が響いて聞こえる))のある他の楽器は見つけられないですよ。そして、三味線が心地よい”さわり”の音を発することができるのは皮のおかげなんです。”

 ”現在、表裏に合成の薄皮のような素材が張ってある三味線を見つけられますよ。そのような楽器では大きな音を生み出せるかもしれないが、さわりの甘美さを創り出す事は出来ないでしょう。それに、もし音の大きさだけを求めているなら、表にも裏にも皮は必要ない。木の塊に絃を3本取り付け、音を増幅すればいいだけだ。それは、ペダルや効果を用いるにはより良いでしょうが、それは私が欲するものではなく、あなたが欲しがっているものでもない。”

松田ミチヒロ(記者)

The Fretboard Journal 2008年春号

アメリカに住むKママ訳