6『みんよう文化』1998年9月号より
「ちとしゃん亭」10周年1週間連続コンサート
「ちとしゃん亭」10周年記念1週間連続コンサートが7月13日から19日までの7日間、連続して東京・荒川のムーブ町屋で開かれた。
プログラムは、13日が「前夜祭」で、国本武春がちとしゃん塾生たちと「大騒ぎちとしゃん亭」を演じたほか、梅若清瑛が秋田三味線を正田麻盛が尺八を聴かせた。また、福士豊秋と二代目成田雲竹女が津軽三味線と唄を披露した。白井英子が三味線弾き語りで聴かせた。
14日は長唄幸城会を主宰する近藤幸子のソロコンサートで「鳳天舞」「五條橋」などを近藤幸子が三味線で聴かせた。また、三味線とラテンバー力ッション‐三味線のための四楽章「越後くずし」を近藤幸子の三味線と海沼正利のパーカッションで聴かせた。
15日は、本條秀太郎のソロコンサート。第1部は、唄と三味線を本條秀太郎、三味線・本條秀五郎で端唄「おまつり」「隅田川」「いつも吉原」など5曲、狸奏楽「はうた道成寺」を聴かせた。第2部は民謡の地方唄「しげさ節」(島根県)、「神津節」(東京都)、「出逢節」(鹿児島県)など7曲をにぎやかに歌い、演奏した。「八丈ショメ節レクチャー」や三弦独奏曲「歌垣ーUTAGAKI」を披露した。
16日は二代目高橋竹山のソロコンサート。第1部は二代目高橋竹山が「三味線よされ」を独奏したのをはじめ「津軽あいや節」「十三の砂山」の弾き語りなどで披露。第2部は曲を変えて「カーニバル」「北の唄」「さらば東京行進曲」などを弾き語りで聴かせた。
17日は国本武春のソロコンサートで、「元気を出して節」「三味線ロックンロール」「堆忍ブギ」「ロックンロール次郎長伝」など10曲を国本武春節でたっぷりたんのうさせた。
18日、19日は「津軽三味線チャンピオンTOKYO決戦ーPartU」。第1部は青森から上京した渋谷和生と進藤正太郎が「津軽の響き」を、木下伸市と上妻宏光が江草啓太のピアノ、海沼正利のパーカッションを加えて、エレキ三味線で大合奏、「津軽よされ節」「津軽あいや節」などを圧倒的な迫力で聴かせた。
第2部は「津軽じょんがら節」を、進藤正太郎、上妻宏光、渋谷和生、木下伸市がそれぞれ自分の味を出して弾き、聴かせた。ラストは全員で「じょんから乱れ弾き」で楽しませて、幕を開じた。
『邦楽ジャーナル』1998年10月号より
三味線が熱い!この夏、連続演奏会
未知の聴衆を掘り起こしたカ
今年、東京の夏ばギラリと照る太腸もなく去った。だが、いつになく暑くもあった。七、八月と催された刺激的な遵続演奏会が、心をほてらせてくれたからだ。
七月十三〜十九日の「ちとしゃん亭・十周年記念一週間連続コンサート」と、八月十五〜二十日の「伝の会・結成九周年&百回突破記念公演」。示し合わせたような三味線の連続演奏会。三味線に限らず、一週間の連続公演は“邦楽界初”ではなかろうか。日本の伝統音楽に典味を持つ人は、邦楽界の予想以上に多いに違いない。だが、連続演奏会が成り立つ基盤になっているのだろうか。企画は一見、無謀に思えたが、仕掛け人の顔を見ればそれぞれに、目算あってのことに違いなかった。
ちとしゃん亭●一週間連続八回コンサート
越境する音楽
荒川区町屋は都電の走る町、東京の下町のにおいの残る町だ。その空気がそのまま、地下鉄千代田線駅上のホール、ムーブ町屋に漂った。一日の仕事を終えて普段着で音楽を聴きに来た…そんなリラックスした雰囲気。加えて、企画から切符のもぎりまで、家族・従業員総出の「三味線かとう」が醸し出すアットホームな気分は、三味線を身近に感じさせる。「三昧線かとう」主人・加藤金治氏が、生まれ育ったこの町に店を構えて十年になる三味線の魅力を若い世代に伝え、ご近所の人々にも楽しんでもらおうと、開店三ヵ月目に始めた店先コンサート「ちとしゃん亭」は、回を重ねて二十九回、開発したエレクトリック三味線のデモンストレーションを兼ねて、津軽三味線チャンピオンTOKYO決戦(一九九三年)などホール公演も企ててきた。その蓄積の厚さが十周年コンサートに表れた。
プログラムを見よう。毎夜、異なる趣向だ。初日は「前夜祭・豪華三味線バラエティショウ」。アマとプロが同じ舞台で交歓する店先コンサートが、ホールに持ち込まれた。二日目は長唄の近藤幸子による古典と現代曲、三日目が本條秀太郎の端唄と地方唄、四夜は二代目高橋竹山の津軽三味線、五夜が浪曲師国本武春、六、七日目が津軽三味線チャンビオンTOKYO決戦Part2。「はみ出たところを聴かせられる人」。人選には枠に捕われない“越境する音楽”という芯が一本通っている。
地元の人が喜んでくれたこと
企画は津軽三味線チャンビオン決戦から始まった。東京を本拠にロックやジャズに越境して活動する木下伸市と上妻宏光、青森に本拠を置き津軽に根ざした音を追求する渋谷和生と進藤正太郎。四人の歴代チャンビオンを共演させたい。「ありそうでなかった共演。実力ある四人の、今でないと出来ない組み合わせが見たい」(加藤)。
折りしも十年だ。記念演奏会の核を決めると、ホールを一週間押さえた。「芝居の場合は一週問、二週間の連続公演は当たり前」。かつて役者として数々の舞台を踏んだ加藤氏に、無謀という感覚はなかった。問題は「お客さんが楽しめる企画かどうか」。邦楽の一人の演奏家、一つのグループの連続公演が可能な音楽状況はない。加藤氏はネットワークの中からバラエティーあるプログラムを考えた。
どの公演も演奏者の個性が光った。三百席足らずの幕のない空間を生かして、“地方唄教室”を試みた本條、会場を駆け回った国本。演奏者が企画を楽しんでいる様子が演出に表れ、舞台と客席は溶け合った。
一週間、八ステージに集った聴衆は約二千人。満員御礼の日もあれば、ポツポツと空席の目立つ夜もあった。今回も赤字である。が、加藤氏は言う。「文化の集積地でない町屋に人が集まって、地元のお客さんがとても喜んでくれたことに満足感がある」と。
津軽三昧線チャンビオン決戦には全国から聴衆が来た。ライブ盤CDの予約は百五十枚を超え、催促の電話が鳴る。「コンサートに来た人が友達に話す。面自かったよって。CDが届いたら、これだよって聞かせて…。終わった後にも喜びが伝播していく」。その実感が、加藤氏にまた、新しい企画を考えさせる。(省略)
ちとしゃん亭と伝の会、共通するのは未知の聴衆を開拓しようという意気込み、時代感覚の鋭さ、そして手作り感覚だ。企画者自身が楽しんでこそ、聴衆を沸かせることができる…そうかんがえ、実行している点も共通項だろう。
今、彼らが手にした充実感は邦楽界の外に向かってアピールしてこそ掴んだもの。「三味線を日常の音に」という願いは、九年、十年の蓄積を経て、未知の聴衆を掘り起こす力を持ち始めた。(奈良部和美) |