『BRUTUS』 1995年11/15号より
当世愚直伝・中田潤
三味線は「霊界楽器」なのかも、というお話。
私がこれまでに聞いた怪談で一番怖かったのは、「深夜マンションに帰ると、玄関が仏壇になってい
る」という話だった。
あるスタイリストから聞いた話なんだけど、仕事を終えてマンションのドアを空けるとそこは仏壇。ドア全体がきらびやかな電飾に包まれたキンピカの仏壇だった、というのである。「入ろうにも入れないじゃない」ということで、仕方なく一度ドアを閉めてもう一度開けてみるがやっぱり仏壇。
「そりゃ、働きすぎなんだよ」−−私はそう言って笑ったのだが、その深夜、自室のドアを開けるには相当の思い切りが必要だった。
心して読んでくれ。実際に私の周囲でそれが起こるとは夢にも思わなかった。
ある日、昼近くに目を覚ますとマンションの前に救急車が止まっていた。私は取材の仕事に遅れそうだったので、その傍らを通って駅へと急いだ。仕事を終えて深夜に帰宅すると、ある部屋のドアの前に花が飾られていた。そのドアは、マンションに入るためにはどうしても通らなけれぱならない場所にあって、ひとり暮らしのおぱあさんが住んでいた。ここ数日、国勢調査の封筒がドアに張りっぱなしになっていた。あるいは、死後数日たって発見されたのかもしれない。
マンションの人工的な照明の下のガラス瓶と菊の花。ニューファミリーに向けて売り出された衛生無害な住居空間がある夜突然、巨大な墓標になることもある。そんな場所で、死はあまりにも頼りなげだ。その孤独な死に対し、私は無関心を装っているしかない。
死について考えざるをえない数か月だった。年が明けると、私はまだ無数の死体が埋まっている神戸をうろついていた。オウム真理教の事件。プロレスラーのミスター珍さんが死に、ボクサーのグレート金山さんが死んだ。特に金山さんの壮絶な死で精神的にまいっていたことは確かだ。そんなある日、私のもとにl本のビデオテーブが送られてきた。といっても、鈴木光司のペストセラー小説のようなお話が始まるわけではない。
それは三味線専門店の店主で、日本初のエレクトリック三味線の開発者である〈三味線かとう〉の加藤金治さんが送ってくれたライブビデオだった。8月6日、サンパール荒川で行われたコンサート。演奏者は三味線が木下伸市さん、和太鼓が林英哲さん。
こういう前ぷりで紹介するのは本当に心苦しいのだが、それを聞いて私は確かに癒された。津軽三味線のうねりと巨大な和太鼓が醸し出す包み込むような通低音は私の中身をマッサージしてくれた。正しい批評にはならないかもしれないけど、私はそんな状態で、その音の魔術にからめ取られてしまった。
加藤金治さんはこのコンサートの主催者でもあった。私は荒川の東尾久に加藤さんを訪ねた。
「太鼓と三味線の共演は、これまではうまくできなかったんですよ。物理的に難しかった。三味線というのは、撥が絃を弾いて、さらに皮を打って、独特の音のうねりを出すのですが、そぱで太鼓が鳴っていると、その音色を消してしまうんですよ。林英哲さんは、これまでも三味線と共演していますが、三味線が鳴っている時は、太鼓の音を抑えていた。だから、どうしても掛け合いのような形になってしまうんですよ。太鼓が鳴っていて三味線も同時に鳴っているという状態では、バランスをとろうとしても難しいんですよ。三味線の前にマイクを置いてPAで調整しようとしても、三味線の音色ではなくて撥の音だけが聞こえるという状態にしかならない。ロックやジャズの人と共演する時にも同じことがいえるわけです」
そういう「三味線の宿命」みたいなものを打ち破ろうとして生まれたのが、加藤さんらが開発したエレキ三味線《夢絃21》だった。日本のエレキブームは60年代中期に爆発したが、本当の意味で三味線の音色を電子信号として再現したのは、四半世紀後の91年に売り出された《夢絃21》が最初だったという。単なるアタッチメントでは三味線のデリケートさに対応できなかったのである。加藤さんは皮の裏側に振動マイクを仕込み、2年間にわたって徴妙な周波数帯をカバーするための試行錯誤を続けた。
「三味線が音楽的にいろんな楽器と融合することは絶対できない、といっていいくらいだった。中田さんは自然にお聞きになったかもしれませんが、三味線を長いことやってきた人にとって、あれは奇跡的なことなんですよ。津軽三味線全国大会に2年連続優勝し、テクニックではピカイチの木下さん。そして、世界の林英哲さん。ぷたりのリハーサルを聞いた時には感動しましたね。太鼓と三味線の音が互いに織り込まれ、彩りをなしていく−−私はそれを世界で初めて聞いたわけですから」
私が聞いたのはそういう音楽だったのだ。
逆にいえぱ、三味線は実に孤高な楽器なのだろう。その音色だけが空気を振動させていれぱ、我々の耳にも強烈な印象とともに伝わる。しかし、他の楽器が同時に振動を始めると、干渉波の中に埋没して消えてしまう。実に不思議な話ではないか。ただひとついえるのは、もはや生活の一部となった「エレキ」というテクノロジーが平賀源内時代の魔術性をいまだに失っていないということだろう。
三味線の絃が震えはじめると、もしかしたら、別の次元がそこに現出しているのかもしれない。三味線の音色は、他の楽器とは別の空気を揺り動かしているのかもしれない。電気信号がそれを同化させ、現実のさなかに別の次元を引き出すための統一言語のようなものなのだとしたら…。
木下伸市さんの三味線を聞きながら、霊界とか天上とかを夢想している私は、まだ死のイメージに取り憑かれているのだろうか。 |