サムタイムス(日暮里サニーホール、ムーブ町屋催し物情報誌) vol.8 2008春号掲載

三味線かとう 加藤金治さんインタビュー

「夢追うもの、みな崇高な挑戦者たち」
これは今年8月25日から荒川区ムーブ町屋で7日連続で行われる、「三味線かとう」主催20周年記念コンサート 「Challengers」の副題である。経営者であり、コンサートのプロデューサーでもある加藤金治さんにお話を聞いた。

以下:記(サムタイムス記者) 加(加藤金治氏)

■ 三味線ライブへの熱き思い
:加藤さんは三味線店経営のほか、演奏家のバックアップからアレンジ、ライブのコーディネートなど、幅広く活動されていらっしゃいますが、どういったお気持ちから行っていらっしゃるのでしようか。

:今年はちょうど三味線かとうの20周年にあたりまして、8月に7日間に渡り、荒川区ムーブ町屋でコンサートを行いますので、まずその話からしましょう。

このコンサートには日本の三味線曲の代表的なものはすべて担当しているといっていいほどの本條秀太郎や、メジャーで活躍している上妻宏光、国本武春と、津軽三味線の実カナンバー1、木乃下真市のほか、全国大会を14歳で優謄して3連覇した者、ロックを取り入れて演奏する者など、若いけれど実力も十分な演奏者たちを迎えます。みんなすごい人たちなのですが、演奏に関しては本当に純粋です。演奏においては最高水準である彼らが、新しい芸術に挑戦するコンサートですので「挑戦者たち」というタイトルにしました。

:1週間というのはかなり長い期間ですね。

:10周年の時に同じムーブ町屋で記念コンサートをやったんですよ。それにならって20年目も行うことにしました。10周年の時はあまり反響もなく大変でしたが、今は先行予約を受け付けるなど、随分と様子が変わりました。先行予約の段階で規定枚数が売り切れてストップしたものもあるんですよ。

■エレクトリック三味線開発への道
:20周年コンサートは日本を代表する三味線界精鋭の集結、といった感がありますね。

:本当にそうですね。洋楽器だと楽器同士で誰でも気軽に演奏し合えるものですが、三味線は「何々流」とかいろいろあって、すぐに一緒にやれないという場合があります。

:加藤さんの新しいお考えが、伝統の垣根を越えてクロスオーバーさせた、ということでしょうか。

:そんなに大げさなことではないですけどね。20年くらい前に、三味線を使ったロック民謡が流行りまして、民謡でありながらベースやドラムを入れた方がいました。外国の民族楽器などもどんどん取り入れて、和楽器が他の世界の楽器と会話しようという時代になってきたのです。ところが三味線という楽器は、大音量の楽器とのセッションのとき、マイクの増幅では三味線本来の美しい音が立ち上がらないのです。余計な音を拾っちゃうとか、バチの音だけを強く拾うとか。そこで三味線にラインを通すことにより、三味線の音だけを忠実に抽出できるエレクトリック三味線を開発しました。例えば三味線がやわらかく語りかけるとギターやドラムがやさしく返事をする。そういう糸口があっていろんな曲ができた。これが垣根を越えたわけですね。

:すると「三味線かとう」が新しい楽器としての三味線音楽の発信地だったのですね。

:まあ、たくさんの方がそうおっしゃって下さいます。

:邦楽ブレイクのひとつのきっかけにもなっていらしたのですね。

:昔ベンチャーズがジャーンとやるとみんなの心を奪いました。あの頃エレクトリック三味線を作っていたら、きっと面白い競演が出来たろうなあと思いますね。新しい三味線作りを粘って今までやってきて、ようやく何とかなった、という感じです。

もちろん普通の三味線はそれだけでとてもいい楽器なのですが、他の楽器とコラボレーションするとなると、エレクトリックの方が合うんです。

■高橋竹山氏への最後の1本
:津軽三味線もお作りになっていますね。

:40年ほど前から高橋竹山先生が演奏しておられた渋谷のジャンジャンというライブハウスまで、先生の最後の三味線を作らせて頂いて持って行きました。

:竹山氏といえぼ、津軽三味線の第一人者でしたね。

:でも持って行って1度も弾かないうちに本番で演奏されまして、胃が痛くなりました。終わってから呼ばれまして「だめだ」とおっしゃったんです。この三味線はだめだ、と。先生の三味線は「叩く」のではなく薄い皮を「弾く」三味線だったんですね。それから張りなおしましたが、薄い皮がなかなか張れなくて随分と破きました。普通の津軽三味線は厚い皮を張りますから。

■原点を振り返る
:そもそもはお父様がお店を始められたそうですが、加藤さんはお店に入られる前まで役者さんをなさっていたとお聞きしました。

:親父は棹の職人でしたが棹では食えない、というので、根岸にある皮張りの職人のところへ住み込みで修行に行ったんです。7年後ちょっと悩んだ時期がありまして、2年間旅をしました。その後戻ってきて芝居に出会い、これだ、と思いました。

15,6年芝居にのめりこみました。出演した作品が紀伊国屋演劇賞を取ったこともあるんです。けれど芝居だけでは食えませんし、三味線の仕事もやっていましたからこちらも忙しくなりまして、長期の旅公演が多くなったところで芝居はやめてそれから本腰を入れて三味線店を開業しました。しかしお店をやるだけでは面白くないと思い、どこか普通の三味線屋さんとは違うことがしたくて、何か遊びがあるようなことをやりたいな、と。そこで「ちとしゃん亭」を始めました。

:旅やお芝居を経験されたことがよかったのでしょうか。

:そうです。本当によかったと思います。

■「未来へ向けて」
:三味線が他の邦楽器に比べて若い人に支持されているのは、ギターのように弦楽器である、ということが関係しているのでしょうか。それとフレットレスであることも面白いのかなあと思いますが、どうお考えですか。

:フレットレスは三味線の大きな特長ですね。勘どころと勘どころの間にたくさんの音があって遊びが生まれて、そこが面白いんでしょうね。

:若い人たちの間でもっと三味線が広まっていくといいですね。

:本当にそう思います。

:8月のムーブ町屋でのコンサートですが、私のように三味線のことは何も知らなくてもお名前は知っている、という有名な方々が参加されていますが、都心で開催されないのはなぜですか。

:現代最高の三味線プレーヤーたちが生み出す新しくて素晴らしい三味線アートを、渋谷とか下北沢とかいわゆる「文化村」ではなく、私が生まれたここ下町、町屋でご覧いただきたいのです。

:本日はお忙しいところ、どうもありがとうございました。